となりのトトロ×仏教
〜はじめに〜
仏教にどうしたら親しみをもってもらえるのだろう?
そんな考えから始めるシリーズです。
シリーズタイトルは 【◯◯×仏教】 !!
日頃から目にするもの、経験するもの、楽しんでいるもののなかに仏教を見つけてみよう!というのがこのシリーズの目的です。文章は松雲寺の副住職が担当いたします。
第1回は「トトロ×仏教」
まずはジブリの代表作。となりのトトロと仏教について副住職が解説していきます。
***************
『となりのトトロ』を見ていると、仏教徒というよりも、まず日本人として非常に懐かしさを覚えるシーンがいくつもあります。たとえば下記のような場面。
サツキが薪を取りに行くと、一陣の風が吹き抜け、空気のかたまりがサツキにぶつかり、腕の中の薪を巻き上げて空に持ち去っていく(ネコバスが通った)。大楠を見上げるサツキ。
塚森の水天宮(注1)。暗い階段をのぼると巨大な大楠と水天宮の社。父さんは樹を見上げて「立派な木だねえ。きっと、ズーッと、ズーッと昔から、ここに立っていたんだね。 昔は木と人は仲良しだったんだ」そう言って三人は大楠を見上げる。「きおつけ!メイがおせわになりました。これからもヨロシクおねがいします」頭を下げる三人。
突然の激しい雨。おじぞうさまの屋根の下で、サツキがメイのカオをハンカチで拭いてやる。ハンカチを持った手で、おじぞうさまに向かって「お地蔵様、ちょっと雨やどりさせてください」と手を合わせる。メイもぺこりと真似をする。傘をつき出すカンタと、サツキの後ろで微笑むお地蔵様。
お稲荷さんのあるバス停。サツキとメイがお父さんの帰りを待っている。赤い鳥居と、色あせたのぼり。社の中の瀬戸物のキツネ、枯れ葉、千羽鶴。極彩色が闇にとけている。そのゾワッとする風景にメイもたじろぐ。
庭に埋めておいたドングリが芽を出し、満月に向かって伸びていく。幹と根がどんどん太くなり、とけあって、巨大な一本の根になっていく。サツキたちの家の屋根に広がっていく、巨大な梢。
小さなサンダルを握りしめるおばあちゃん。「ナンマンダブナンマンダブ」と必死に念仏を唱える。(注2)
道ばたの六地蔵さま(注3)の傍らでうずくまるメイ。
以上、宮崎駿2001『スタジオジブリ絵コンテ全集3となりのトトロ』徳間書店より
こうしたシーンは、不思議と私たち日本人の心につよい共感を呼びます。
たとえば大きな楠を前にして圧倒される感覚や、お稲荷さんの白キツネを見て「不気味だな…」とぞっとする感じ。また通りすがりのお地蔵さんに手を合わせる素直な心や、必死に念仏を唱えるおばあさんなど、日本人であれば一度は実感したり、耳にしたことのある原風景だと思います。自然を畏れ敬う気持ちと、仏教の「慈悲(やさしさ)」の思想などが、混ざり合って日本仏教というものが育まれてきたのだと感じます。
先に引用しました絵コンテを見ると、メイがトトロと出会った大楠の前の社には、「信仰がとだえていない証拠に絵馬をいく枚か」と宮崎自身の手によってメモ書きがされています。この「信仰」とは、キリスト教や仏教といった「所属」を指すのではなく、人間の力を超えた大きなものを敬う素朴な気持ちです。最近では富士山が話題になってますが、壮大で美しい自然を大切に想う気持ちが日本人の信仰であり、仏教という枠組みを超えた感情なのかと思います。それが『トトロ』では、薪を巻き上げる突風であったり、ポンプで汲み出される豊かな水であったり、圧倒されるほどの大きさの楠であったり、また道ばたのお地蔵様に手を合わせる姿として描かれています。
お地蔵様は道祖神であると同時に「子供を守る神様」として知られています。『トトロ』をご覧になる際には、そんな点にも注目してみると面白いのではないでしょうか。
松雲寺の境内にもたくさんの観音様、お地蔵様がいます。通りかかりましたら是非、手を合わせてご挨拶してくださいね。
次回は「温泉×仏教」です!乞うご期待!!
*********
注1)水天とは、仏教の護法善神である十二天のうちの一つであり、その名の通り水神である。仏教が日本に入ってくると、同じく水を司る神である「水分神」(みくまりのかみ)と習合した。「みくまり」は「水を配る」を意味する。やがて「みくまり」が「みごもり(御子守)」に通じることから、子供を守る神(子守神)として信仰されるようになった。
注2)絵コンテには「題目」とあるが、題目とは法華系の「南無法蓮華経」を指す。ナンマンダブとは「南無阿弥陀仏」であって浄土系の称名念仏である。
注3)六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)に現れて衆生を救済することから、六つ並んだ姿で置かれる。