温泉×仏教
【◯◯×仏教】シリーズ第2回は「温泉×仏教」です。
温泉といえば、現在はレジャーの1つというイメージがありますが、かつてはそこに仏様の姿を見ていたようです。
そんなエピソードを今回は紹介します!
*******
今回は温泉×仏教です。
韮崎市出身の大村智さんがノーベル賞を受けたということで、地元に建てられた大村美術館、併設される白山温泉にも連日多くの観光客が訪れて賑わっているようです。わたし(副住職)も行きつけの温泉ですので、とても嬉しく思ってます。
温泉の話を始める前に、まずは「入浴と仏教」についてお話しましょう。大陸からの仏教伝来によって、漢字や仏像、寺院建築など様々な文化が日本にもたらされましたが、「入浴」という習慣もその一つです。災いを除き福を招くという入浴は、早くからその効能が説かれ、浴室は寺院のなかでも重要な施設の一つです。雲水(うんすい:修行僧のこと)たちは日々の修行のひとつとして入浴しましたが、自分たちが入浴するだけでなく、一般の人々にも浴室を開放しました。これを「施浴(せよく)」といいます。
みなさん布施というと金銭のことを思い浮かべがちですが、貧しい人々のためにお湯を施すこともまた立派な布施行のひとつです。奈良時代の聖武天皇とその皇后である光明皇后は、ともに仏教の信仰に厚かったことで知られています。光明皇后は慈悲の心にあふれた女性で、孤児や病人のために悲田院という施設を建て、多くの人々の救済に尽くしました。
あるとき、光明皇后は千人に施浴しようと誓願(せいがん:人々の苦しみを救おうと誓うこと)を立て、貴賤を問わずに入浴させ、自らの手で入浴者の体を洗いました。いよいよ千人目が近づいたとき、そこに現れたのは肉がただれ、全身が紫色に膨れた癩病者(らいびょうしゃ:ハンセン病者)でした。癩病者が、その口で膿を吸い出してほしいと言うと、皇后はためらうことなく、自身の口を付けました。すると、たちまち癩病者の体は黄金に輝き、阿閦仏(あしゅくぶつ)となって空へ飛翔しました。これが有名な「光明皇后千日施浴」の物語です。
また地中からこんこんと沸き出る温泉には、それ自体が神秘的な力を持つと考えられてきました。各地の温泉施設にいくと、薬師如来や熊野権現などが祀られています。薬師如来は「薬師」の名の通り、人々の病気を平癒し悟りに導いてくれる仏様です。熊野権現は「不浄を嫌わぬ神」として知られ、病者や障害者、女性(江戸以前は女人禁制の霊場が多かった)などを、差別することなく平等に受け入れる神として知られ、後述する「小栗判官伝説」によって温泉の神様として広まりました。
小栗判官(おぐりはんがん)伝説を簡単に説明します。悪行によって地獄に堕ちた小栗判官助重(すけしげ)は、閻魔大王のはからいによって、異形の姿(癩病者)でこの世に蘇ります。閻魔大王は、藤沢山遊行寺の上人に手紙をしたため、熊野本宮の「湯の峰温泉」に行かせるように指示します。上人は歩くこともままならない小栗判官助重に「餓鬼阿弥陀仏」という法号を与えます。道中多くの人の助けを借りて、ようやく湯の峰温泉にたどり着いた餓鬼阿弥陀仏は、入浴して七日目に両目が開き、十四日目には耳が聞こえ、二十一日目には会話ができるようになり、四十九日が経つと元の小栗判官助重に戻っていました。これが有名な「小栗判官伝説」です。
この説話が時宗系の僧侶によって全国に広められたことで、病苦を取り除き本来のあるべき姿へ再生させるという温泉自体の霊的な効能が一層認知されたと言えるでしょう。現代の温泉は、健康な旅行客がレジャーのために訪れるものに様変わりしてしまいましたが、それ以前の温泉は、病人たちが平癒の願いをこめて湯治に訪れるものでした。私たちも温泉に入って「生き返った」と感じることがあると思いますが、かつての湯治客たちは「温泉」に、衆生を救済する仏様を見ていたのだと思います。
******
次回は「都市×仏教」です!乞うご期待!
※本ページに使用した画像はスタジオジブリ『千と千尋の神隠し』より引用しました。